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ep8 逃走

Author: 根上真気
last update Last Updated: 2025-04-01 06:11:39

これから秘密の夜会へと出かけるように寝間着から着替えたリザレリスは、隙をついてこっそりと部屋を忍び出た。

コソドロのようにひたひたと、薄暗くなったヴァンパイア宮殿の、広い廊下と階段を進んでいく。

その途上だった。リザレリスは、前方にある一室の前でディリアスの姿を視認すると、柱の影にサッと身を潜めた。そこから彼女は、死角となる位置を見極めながら、そ〜っと近づいていき、耳をそばだてる。

なぜ彼女は、そんな危険な行動を取るのだろうか?

「俺...わたしのことを、話しているよな......?」

そう。ディリアスは何やらただならぬ雰囲気で小太りの重臣と話し込んでいるのだが、その内容はリザレリスについてのことらしかった。しかも聞こえてくる会話の断片から推察するに、王女を議題にした会議後だったようだ。

終了し退室してからも深刻に話し込むのは、その会議が相当に紛糾したからであろうか。 

「まあ王女だから、そりゃ重臣たちで会議もするよな......」

そう考えて納得するも、リザレリスはどこか腑に落ちない。

というのも......。

ディリアスによれば、現在の〔ブラッドヘルム〕は王不在だという。つい先日、王が崩御してしまったからだ。なので、数年前に王が病床に伏してから今に至るまで、ディリアスが摂政として内政も外交も取り仕切っていた。

そして王に世継ぎはなく、未だ次期国王も定まっていない。まさにそのタイミングで、リザレリスは目覚めたのだった。これは〔ブラッドヘルム〕にしてみれば、天佑と言っていいだろう。

さて......。

このような状況で、目覚めた王女についての会議を、果たして王女抜きでやるだろうか?

「くそ。もっと近づかないとちゃんと聞こえないな......」

そう思ったリザレリスが、これでもかと耳を伸ばした時だった。

「それでも王女殿下の政略結婚には最大限慎重であるべきだ!」

ディリアスが語気を荒げて大声を上げた。次の瞬間、リザレリスの口から無意識に声が洩れる。

「えっ??」

即座にリザレリスはハッとして、両手で口を塞いだ。それからそっと後ずさると、その場から離れようときびすを返した。とその時。彼女の視界の先に、ちょうど廊下の角から曲がって出てきた侍女長が現れる。

「王女殿下?」

動こうとするも間に合わなかった。ルイーズはリザレリスの姿を確認するなり、呼びかけながら近づいてきた。

リザレリスは取りつくろった表情を浮かべてやり過ごそうとするが、またもやハッとして後ろに振り向く。

「お、王女殿下、いつからそこに?」

ディリアスが愕然としていた。どうしていいかわからなくなったリザレリスは、ダッと駆け出す。

「王女殿下!」

ディリアスの声を背中に、リザレリスはその場から走り去っていく。

俺が政略結婚?フザけんな!そんなの嫌に決まってるだろ!

彼女は心の中で叫びながら、何もかもから逃げ出すように無我夢中で駆けていった。

やがて城の出口と見られる大きな扉の前まで来て、リザレリスは立ち止まった。

重々しくそびえる扉の高さは、一般的な女子高生程度の身長である彼女の何倍もある。華奢な彼女ひとりで開けられるものなのだろうか。

「王女殿下!」

背後から追っ手の声が響いてくる。迷っている暇はない。リザレリスは両手を扉に押し当てた。

「うーん!」

全体重を込めて扉を押すも、びくともしない。このままでは追っ手に捕まってしまう。その時。

「王女殿下」

他の者たちに先立って何者かが側面からリザレリスに迫ってきた。リザレリスはそちらに振り向く。

「お、おまえは!」

彼女の目に飛び込んできたのは、生贄の美少年エミル・グレーアムだった。

「王女殿下。何をなさっているのですか」

彼はもうすぐそこまで来ていた。リザレリスは唇を噛み、扉から手を離して諦めた。もう逃げられない。

「てゆーか、仮に城から出たところでどうなるわけでもないんだよな......」

途端に冷静な思考を取り戻したリザレリスは、その場にしゃがみ込んでうなだれた。

「王女殿下は、外に出ようとなさっていたのですか?」

エミルが歩み寄ってきて膝をついた。

リザレリスはうつむいたまま答える。「街を見たくて。最初は......」

「最初は、というと、今は違うのですか?」

「逃げたくて......」

「そう...ですか」

エミルはそれ以上は何も訊かず、しおれた花のような儚げな彼女の横顔を見つめる。

「おまえもわたしを捕まえにきたんだろ。早くどこへでもわたしを連れてけよ」

リザレリスは投げやりな口調で言い捨てた。それに対してエミルは、不自然なまでにうやうやしく応じる。

「......イエス・ユア・ハイネス(かしこまりました)」

次の瞬間だった。

「えっ??」

予想外の出来事にリザレリスは驚く。なんとエミルが、いきなり彼女のことをお姫様抱っこで抱きかかえ上げたからだ。決して体の大きくない美少年にしてはやけに力強い。

「お、王女にこんなことするのって、無礼なんじゃねーの?」

あたふたとするリザレリスに、エミルは困惑した笑顔を向けた。

「おっしゃるとおりです。私ごとき生け贄が王女殿下に対してこのような行為、無礼極まりありません。ですので私はどんな罰でも甘んじて受ける所存です。たとえ死罪でも」

「はあ?おまえなに言って...」

「王女殿下。舌を噛んでしまいますので少々口を噤んでいただけないでしょうか」

そう言ってリザレリスを沈黙させたエミルは、ここから信じられない動きを見せる。

「!!」

リザリレスは目を見張った。自分を抱えたまま、舞い上がる旋風の如く城内を翔け抜けていくエミル・グレーアムに。

まるでジェットコースターにでも乗った心持ちのリザレリスは、思わずエミルの首に腕を回してひしと抱きついた。

「エミルが王女殿下を!?」ディリアスと重臣たちは、疾風となったエミルを追っていくも、すぐに見失ってしまった。

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